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中学校の教科書やウィキペディアは、「讃岐のみやつこまろ」となっていて間違っています。「さめき」であるのに「さぬき」と変えて大手出版社が発行している

中学校の教科書やウィキペディアは、「讃岐のみやつこまろ」となっていて間違っています。「さめき」であるのに「さぬき」と変えて大手出版社が発行している

『竹取物語』に登場する「…竹取の翁…名おば、さかきのみやつこまろ…」は、この山本駅の駅長か、当時の山本郷の長老である太夫ではないかと考えている。この「さかきのみやつこまろ」とは、「榊」(神に仕え)、「造麻呂」(朝廷に仕える人物)といえば、この山本駅の駅長または太夫ではないかと考えられる。
ところが最近発行の中学校の教科書やウィキペディアは、「讃岐のみやつこまろ」となっていて間違っています。「さめき」であるのに「さぬき」と変えて大手出版社が発行しているからです。

私は、『竹取物語』に登場する「…竹取の翁…名おば、さかきのみやつこまろ…」は、この山本駅の駅長か、当時の山本郷の長老である太夫ではないかと考えている。この「さかきのみやつこまろ」とは、「榊」(神に仕え)、「造麻呂」(朝廷に仕える人物)といえば、この山本駅の駅長または太夫ではないかと考えられる。 この京田辺市山本村周辺には、竹取物語にちなむ地名として前記の「山本」 の他「山崎」「筒城」 「筒城宮」「甘南備山」 「月読神社」 が存在し、神仙思想が溢れていて天女伝説を兼ね備えた地域であった。一方、多々羅には、フイゴによる和鉄製鉄炉・製鉄所の鍛治部や、また西方にある交野市「天の川」付近の仙女伝承地にも近く、山本周辺はまさに「神仙の地」でもあった。さらに平安時代には、京田辺市三山木にある寿宝寺の十一面千手千眼観音立像(重要文化財)や五大明王像(平安時代中期)が造られている事などから、奈良時代から平安時代にかけての長い期間に渡って栄えていた地域でもあった。
 これは最近の三山木地区特定土地区画整理事業に伴う京都府埋蔵文化財調査研究センターの三山木遺跡第二次発掘調査で、山崎付近の地層から弥生時代前期の土器片や石包丁・石鏃・石鋸・管玉の未製品や未完成の原石が出土し、丘陵上に玉造り関連遺構が存在した可能性があると報告されている。また近鉄三山木駅へかけての丘陵地には、山本駅と想定される地域で奈良時代の掘立柱建物跡(三間×三間の総柱の建物で、古代の条里制に沿って南東方向に延びる)や奈良時代後半の瓦二十点それに井戸の遺構が発見されている。さらに平安時代の掘立柱建物跡(一間×二間の東西方向建物で先の建物と重複して出土)や・鎌倉時代の遺物も発掘さ、また、二又付近の地層からは、飛鳥時代や平安時代の井戸、それに平安時代の掘立柱建物跡の掘立柱も出土し長い時代に渡って栄えていたことが考古学の分野からも実証されている。
この発掘場所は、『山城国綴喜郡筒城郷朱智庄佐賀庄両惣図』と『筒城郷佐賀荘全図』に記されている「大筒城佐賀冠者殿旧館地」にあたる場所である。「大筒城」は京都府綴喜郡の「綴喜」で、「冠者殿」は元服して冠をつけた男子で宮仕えした人であり、もしここに竹取の翁が住んでいた所と推定すれば、「大筒城垂根王」は、「竹取の翁」と思われる。

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